8月6日の日記

2007年8月6日
仕事が忙しい。
特に負担が重いのは来年度から適用される”内部統制”関連業務。簡単に言えば、決算値に至る過程とそこに潜むリスクとコントロールを明らかにする、というのがミッションだ。
ゴールが見えない感じが非常に不安。

8月5日の日記

2007年8月5日
免許の更新をしてきた。優良ドライバーなので30分の講習だったのだが、人が多かったことと、講習までの待ち時間が長かったため、トータルで2時間半かかった。交通センターは土曜日も営業して、混雑を緩和してはどうかと思うが、まあ、やらないだろうなとも思う。3年か5年に1回のことだから別にどうでも良いんだけど。
待ち時間の間、昨日買った星新一氏の『おせっかいな神々』を読んだ。

最近、ぬれおかきにはまっている。噛みしめると抵抗しながらもぐにゃっとつぶれる食感が素晴らしい。

8月4日の日記

2007年8月4日
先月、28歳の誕生日を迎えたので、免許の更新手続きに行かなければならない。28歳というとちょっとした年齢だ。

嫁と息子は先週末から兵庫県の嫁の実家に帰省し、今日からはその足で僕の実家へと帰省した。僕は11日から合流予定。
息子はすっかり赤ちゃん気が抜けてだんだんと少年ぽくなってきた。
今年のお正月時にはハイハイも満足に出来なかったのに、今は走り回って、叫びまくっている息子を見るとすごいなと感心する。

5月4日の日記

2007年5月4日
この前会社で健康診断があった。
視力が両目とも0.5になっていたのですごくショックを受けた。
最近目が見えづらいとは感じていたが、こんなにも視力が落ちているとは。。。
2,3年前までは両目2.0あった僕の視力であるが、ここんとこ一気に落ち込んできた。
パソコンの画面に向かっている時間が長いことと、加齢のためだとは思うが、だいぶショックを受けている。
今度の7月には免許の更新だ。片目それぞれ0.3以上かつ両目で0.7以上が条件みたいなので今回はセーフになりそうだが、次回はやばいかも。

5月3日の日記

2007年5月3日
5月3日の日記
ゴールデンウィークはカレンダー通り。
1,2日は出勤。3,4,5,6日はお休み。
妻子は先週末から兵庫県に帰省中。
僕は8月の試験に向けて一人でお勉強。5日に車で迎えに行く。

我が子が生まれてから早いもので1年がたとうとしている。
子どもの成長スピードはものすごく、最近はよちよちと歩くまでになった。
月並みの言い方ではあるが、あっという間の1年だった。
子供はこちらの言うことを理解するまでにはなっていないので、
思い通りにならないことが多いのだけど、そのおかげかあらゆることに対して僕自身非常に忍耐深くなったと思う。
嫁も最初の頃はかなりストレスを感じていたようだが、最近はそのストレスもだいぶ軽減されてきたようだ。

子育てを通じて、これまで考えもしなかったことを考えたり、感じたことのない感情を感じるようになったりするようになったことは新たな発見だ。
子育てなんて何でもないようなことのように思っていたが、蓋を開けてみると全然違った。子供を育てながら親も成長していくんだなと常々思う。
並海苔ライス麺固め
安藤百福氏に哀悼の意を表するために日清食品の「行列の出来るラーメン 和歌山」を作った。

具は、
・チャーシュー、煮たまご(自作)、昆布かまぼこ(実家から送られてきたので)、のり、白ネギである。

この行列のできるラーメンシリーズはなかなか侮れなく、
そのへんの普通のラーメン店よりずっとおいしい。
家庭でこんなにおいしいラーメンを食べられるようにしてくれた安藤百福氏には本当に感謝している。どうもありがとうございました。

おばあちゃん

2007年1月7日
以下、長文失礼。
身内の話です。

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僕の祖父母は4人いたわけですが、健在なのは今年83歳になる母方の祖母のみです。足首の関節痛を患っていて、歩行はゆっくりですが、その他は概ね健康です。

祖母は若かりし日は学校の先生で、同じく学校の先生をしていた祖父と知り合い、周囲の反対を押し切って結婚したとのこと。祖父が結核だったことと、貧乏な寺の住職もやっていたのが周囲の反対の理由だったそうです。

その後、2人は長女、次女、長男、次男の4人の子供をもうけました。
長女・・・僕の母親。
次女・・・バツイチで現在も独身。
長男・・・先生兼住職。ずっと独身。
次男・・・15年ほど前に不慮の事故で逝去。

戦後の貧しい時代に結核のため入退院を繰り返す夫の看病をしながら、寺を守り、子供4人を育てるのはさぞかし不安だったろうと思います。
おまけに家には出戻りの小姑(祖父の姉)までいて祖母はどれほど辛い日々だったのでしょうか。

祖父の結核は完治したものの70歳でガンで死ぬまで色々な病気を患っていたので、祖母は自分で病院に送り迎えが出来るようにと60歳でクルマの免許をとったそうです。今も時速30キロぐらいでゆっくり運転しています。
その後次男は東京で寝タバコが原因の火事で亡くなり、次女は不倫して離婚してしまい、長男は頑なに独身を守り通すなど、祖母の人生には心休まる時というのがなかったのではないかと思います。

**********

そんな祖母を支えてきたものは何だったのか。

ひとつは祖父への愛。

そしてもうひとつは宗教に対する信仰心ではないかと思います。
祖母が嫁いだ先の寺は「浄土で真のさとりに至る」的な教えを標榜している宗派でして、祖母は現世のことはそこに至るまでの過程であるという理解・認識を自然に行っていたのではないかと思います。
僕自身は無宗教、無信仰な人間ではありますが、人生を豊かに生きるために宗教を活用する人に対して否定はできません。

**********

今回の年末年始は僕の息子を祖母のところに連れていきましたが、「あんたに一番会いたかった。あんたが一番好きじゃ。」と言いながら曾孫を抱っこして可愛がる祖母を見て、心から長生きして欲しいと思いました。
ご無沙汰しています。
元気にすくすくと育っています。

5月30日の日記

2006年5月30日
会社にいるときも赤ちゃんのことを考えるとついついにやけてしまう。

5月28日の日記

2006年5月28日
今日は実家の両親が嫁と赤ちゃんに会いがてら、僕に一言おめでとうと言うためだけに和歌山まで足を伸ばしてきてくれた。
朝6時半に家を出て和歌山についたのは11時半ごろ。
僕は簿記論の答練があったので、昼休みに駅の地下で一緒に昼食を食べ、そのまま13時初の関空経由神戸行きのバス乗り場に連れていって、近いうちにまた来ると言って彼らは神戸の病院へと向かった。

嫁の話では病院には15時半ごろ到着し、ガラス越しながらもにこやかに赤ちゃんを眺めて喜んでいたとのこと。
17時すぎには病院を出て嫁の両親に新神戸まで送ってもらい、実家へと帰っていった。21時過ぎに母親から帰り着いたと電話があった。

日帰りで大分から関西に来るという行為はすごく疲れるし、赤ちゃんに会うためだけなら神戸往復で済ませればいい話なのだが、両親は僕におめでとうと直接伝えたい一心で労を厭わずはるばる和歌山まで足を伸ばしてきてくれたわけで、とてもありがたいことだと思う。親心に報いるためにも赤ちゃんをしっかり育てていきたい。
とうとう赤ちゃんが生まれました。
体重3,248グラムの元気な男の子。
産んだ嫁も元気。良かった良かった。
嫁と嫁の母親と赤ちゃんには「おつかれさまでした」という気持ちと「ありがとうございました」という気持ちでいっぱいです。

金曜の早朝4:30から病院に行き、生まれたのは15時すぎ。
僕が病院に到着したのは11時ごろだったのですが陣痛室での嫁の痛がり方は尋常ではなくすごく心配しました。嫁の叫び声は病院のフロア中に響きわたっていたので、これから出産予定の妊婦はさぞかしブルーになったことでしょう。陣痛室、分娩室での立会を経ての感想は、僕は出産を甘く見ていました。全国の出産経験のある女性の方々に心から謝罪します。どうもすいませんでした。人間の命の重みを思い知った気分です。

生まれたての赤ちゃんは羊水でふやけていたけど、一夜明けて今日見てみると外気慣れしたのかだいぶ一般的な赤ちゃんらしくなっていました。
時々、腕を動かすしぐさが超かわいい。
こんなにかわいい生き物が存在したのかと、早くも親バカです。
生まれた直後は分娩室でだっこさせてもらえましたが、それ以降は新生児室に入れられているので母親以外はガラス越しでしか赤ちゃんと接することができません。寂しい・・・。赤ちゃんにさわりたい!来週の水曜が退院予定日ですが、そのまま嫁の実家に行くので僕が次に赤ちゃんに会えるのは来週の土曜。早くだっこしたい。

出産した病院は公立病院でしたが、お医者さん、助産士さん、看護士さんのみなさんとても親切で頼りがいがあってとても良かったです。これから出産だけどどうしようという方には是非おすすめしたい病院です。ちなみに評判が良いので半年以上前に予約しないと無理らしいですが。
分娩室では女性スタッフばかり8,9名が嫁を囲んで赤ちゃんを取り上げてくれました。みなさんが天使に見えました。どうもありがとうございました。

最近、新聞等で産婦人科医不足が報じられていますがあんなに大変な仕事ならそれも無理はないと実感しました。だけれども、あんなにやりがいのある仕事も珍しいんではないかと思います。

しかし、それにしても出産があんなに大変だと気軽に2人目なんて考えられないですね。嫁ももうあんな思いは嫌らしく、2人目をつくるとしたら無痛分娩か帝王切開で生みたいと言っていました。

5月26日の日記

2006年5月26日
赤ちゃんはいまだ生まれず。
しかし、嫁は水曜の夜から断続的に陣痛が始まっているようで、あまりに痛いので病院に行ったところまだ早いと追い返されたとのこと。だいぶしんどいようなのでかわいそう。
水曜の定期検診ではすでに3000グラムオーバーだったので出産は大仕事になりそうな予感。出来れば立ち会いたいと思っているので出勤していても早退して病院へ向かうつもり。
僕は和歌山に住んでいて病院は神戸だけど、阪和道と阪神高速湾岸線を使えば意外に早い。神戸市中心部の三宮というところまで1時間ほどで行けちゃう。病院はそこからさらに山側なのでもう少しかかりますが、ドアツードアで2時間あればいけるはず。

ところでお医者さんは検診の時に赤ちゃんが寝てるかどうかわかるらしいですね。脈拍を画面で見るやつで確認できるみたいです。
検診の時に「寝てるんで起こしますね」といって、おなかをぽんぽんしたら赤ちゃんの脈拍が急上昇したそうだ。

体力測定

2006年5月24日
今日は会社のグラウンドで体力測定を行った。
すごく平和な会社だと思う。

記録は、
・前屈 10.5cm
・垂直飛 56.0cm
・懸垂 5回
・握力 右43.0kg、左46.5kg
・ハンドボール投げ 30m
・反復横とび 49回
・立ち幅跳び 2m60cm
・50m走・・・棄権

ハンドボールを力いっぱい投げたら二の腕が内出血している。
体力の衰えはかくも著しいものか。

情報化投資について

2006年5月23日
僕はシステムに明るくないということをまず断って、以下は素人考え。

IT革命が叫ばれるようになって久しい。
企業は業務効率化のために情報化投資を進め、今日では営業・経理・人事・生産などなど様々なシステムが運用され、企業経営を支えている。

しかし、システムは本当に悩ましい。
システム開発にはものすごいマンパワーとカネが必要だし、運開後も絶え間のない保守が要求される。
時間の経過とともに各システムがつぎはぎだらけで部分最適化されてしまい、結果として全体が機能不全に陥ってしまう、というのはよくある症状なのではないだろうか?

情報化投資で重要なことは、
・イニシャルコストをけちらない。
・導入時にはシステムの追加、改良にも対応できる柔軟性をもたせる。
・定期的に全面入れ替えを行う。

ネックはコスト。
外注に出すと法外に高いし、よほどの大企業でないと自社の情報システム部の能力には限界がある。
費用対効果を追求すると中途半端な使えないシステムが出来上がってしまうわけだ。

5月22日の日記

2006年5月22日
本日、目覚めたら8時5分。
工場の始業時間は8時15分。
ヒゲもそらずに急いで行ったにもかかわらず遅刻。

他部門からの応援人員にもかかわらず遅刻してしまい、大変申し訳ありませんでした。
別に誰にも怒られなかったが、このことが経理の上司に知られたらだいぶ怒られるような気がするなあ。
まあ100%僕が悪いんですが。

会社に遅刻するなんて社会人としてどうかと思う。

5月20日の日記

2006年5月20日
今日はわが子の出産予定日。←まだ生まれる気配なし。
そして実兄の結納。←高校時代から10年以上付き合ってのゴール。
さらには大学ゼミの友人の結婚式@横浜←欠席

と、非常にめでたい日だった。
出産が終わっていれば友人の結婚式には行きたかったのだが、
まだ生まれていないので電報だけ打っといた。
ゼミの男連中はみんな出席した模様。

大学時代、彼のクルマでよくドライブに連れていってもらった。大和の天狗屋とか恵比寿のラーメン屋とか湘南海岸とか。
新郎は俳優の袴田吉彦に似た色男。面食いだったので新婦も美人だろうと思われる。結婚おめでとう。お幸せに。

今日はひさしぶりにタバコを買って吸ってみたがとてもまずかった。
マルボロメンソールのライトという割と軽めの銘柄なのだが、
まったりとした鉛のような味がした。
ショートホープを1日40本以上吸っていたころの僕は一体何がしたかったのか?

5月13日の日記

2006年5月13日
工場勤務にもだんだんと慣れてきて、一日中立ちっぱなしでもあまり足が痛くならないようになってきた。
作業もだいたい標準時間内でできるようになった。

工場内で黙々と部品加工をしていると色々なことを考える。
嫁のこと、生まれてくる子供のこと、今の会社のこと、前の会社のこと、大学時代のこと、高校までの故郷での暮らしのこと。
今は若さと可能性とを引き換えに月々のサラリーを得ているわけだが、これから年をとって、また可能性もなくなってきたときに僕は家族を抱えてどう生きていくべきなのか。
生まれてくる子供は僕の背中を見て大きくなっていくわけで、情けない背中は見せたくない。

5月4日の日記

2006年5月4日
ばあちゃんの一周忌のため昨日ひとりで帰省。
嫁の実家までクルマで行って新神戸から新幹線。
15:45ののぞみだったのだが、15:42ののぞみに乗ってしまった。
僕の席に座っている家族連れがいたので「すいません、そこ、僕の席のような気がするんですが?」と尋ねたところ、向こうが「あれー、そんなはずはないと思うんですが・・・。」と切符を見てくれて僕の間違いが発覚。
そそくさと車両連結部に移り、次の岡山まで30分ほど立ちっぱなしで我慢。
岡山で降りて後続ののぞみに乗り換えてやれやれな感じ。
なんという初歩的なミスをしてしまったのだろうか。

**********

小倉で日豊本線に乗り換えて大分方面に行くときに注意しなければいけないのは博多−大分間の特急列車は小倉で進行方向が変わります。
つまり小倉でシートをぐるっと回さないと進行方向とは逆を向いて着席することになってしまうのです。新幹線から特急に乗り換えるとみんながシートをがちゃがちゃ回しているのはそういう理由です。

5月1日の日記

2006年5月1日
今日から2ヶ月ほど工場で働くことになった。
今日はボール盤を使って部品に穴をあける加工をした。
作業手順は恐らく僕より年下と思われる女の子に教えてもらった。
「リーマ」、「面取り」など専門用語を交えて説明してくるのでなかなか難しかったが、第二種電気工事士というガテン系資格を勉強したことがあるおかげか用語ぐらいはなんとなくわかった。
一日中立ちっぱなしで同じ作業ばかりしていると足が痛いし、眠いし、飽きてきた。その反面、工場内における作業というのは自己完結型であり、他者への働きかけ等が必要ないので気楽といえば気楽である。流れているラインに入っているわけではないので自分のペースでやれるし。

それにしても、まさか自分が工場で働くなんて思いもしなかったが、何事も経験だと思うのでがんばってみよう。

4月30日の日記

2006年4月30日
今日は簿記の専門学校の講義最終回。
次回からは答練がはじまります。
去年の9月に開講したときは20人ぐらいいたクラスも今日は6人。
講師の授業があまりにも意味わかんないからビデオ講座に変更した人もいるかとは思うが、6人っていうのは少ないよな。
でも講師の授業はほんとに意味わかんなかったので、次からは他の専門学校のWEB講座にしようと思う。
ここ1ヶ月ぐらい仕事が忙しかったので勉強がおろそかになってしまっていたが、それなりにがんばってきたし、今年受けるのは一番簡単な科目なので落ちたくない。(税理士試験は5科目の科目合格制で、今年は簿記論という科目を受験します。5科目受かるまでに何年かけても良いのです。)
もう一度同じことを勉強するのは嫌だ。ということで残りの3ヶ月は必死こいて勉強します。

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学校が終わった後はJRのみどりの窓口で九州往復割引切符を購入。3日(行き)で6日(帰り)なので指定席はもはや無理かと思ったけどすんなりとれた。窓口のお姉さんの端末を覗いたところ、GW中にもかかわらず意外に空席多いようだった。GWが長いので分散しているのかもしれないが、神戸空港開港の影響もあるのかもしれない。

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ディープインパクト強すぎ。なんであんなに強いんだろうか。
姿形はサラブレッドだけど、遺伝子は突然変異したニュータイプなのかもしれない。
馬券は気持ちだけ買ったけど外れた。

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