9月5日の日記
2004年9月4日今日はひさしぶりの休日だった。
彼女は実家に帰省したので特に出かけることもなく、
部屋を片付けたり、クリーニング屋に行ったりしたわけだ。
先週からほんとに忙しくて、この前の土日は出勤したし、
今週は毎日午前0時まで働いた。
しかし、自分のペースでできるし、わからないなりにも非常に興味深いことが多いのでおもしろい。
僕はこういうのを求めていたのだ。
で、今週は2回夜遊びした。
木曜は女の子のほとんどがインドネシア人のキャバクラ?に行ったのだが、みんな結構キレイだった。ちなみにいかがわしい店ではないです。
金曜はまず居酒屋行って、その後いかがわしい店に行って、最後にキャバクラに行った。
ひさしぶりに夜遊びしてしまったわけだが、毎日男だけの職場で働いて、彼女にも会えないとなると、女の子とお話できるだけで結構うれしいもんだなと思った。
前はキャバクラなんて全然おもしろくないって思ってたけど、時が流れて人も変わる。
**********
今月末の日曜に開催される大学時代のゼミの教授を囲んでのOB会どうする?ってゼミ時代の友人から電話がかかってきた。
ていうか、僕にはハガキ来てないよ。
こういうことされると非常に疎外感を感じる。
心配になったので他の人間にも色々確認してみたのだが、電話かけてきた一人にしかハガキ来てないようだ。
**********
卒業して3年目に突入した。
非常に懐かしい。
僕のゼミは入るのはけっこう難しかった。
15人中、成績優秀者で10人、その他5人。
入ってからはありえないぐらい楽だった。
ちなみに僕は先輩のコネで入りました。
ゼミの時間は先生の部屋に行って、みんなでおしゃべりしながら、17時過ぎから酒を飲むという意味不明なことをやっていた。
ほんとに全然勉強しなかったのだが、先生は「お前ら、みんな優秀でこのゼミに入ったんだから、このゼミでは勉強はしない」と言い切ってた。出席にも全然厳しくなくて在籍しているだけで単位はもらえるのだが、僕は無遅刻無欠席だったし、みんなもおそらくそうだったと思う。
ていうか先生の都合で休講ということが非常に多かった。
意味合いは違うかもしれないが、僕にとっての横浜での4年間はほんとに古き良き時代だった。
彼女は実家に帰省したので特に出かけることもなく、
部屋を片付けたり、クリーニング屋に行ったりしたわけだ。
先週からほんとに忙しくて、この前の土日は出勤したし、
今週は毎日午前0時まで働いた。
しかし、自分のペースでできるし、わからないなりにも非常に興味深いことが多いのでおもしろい。
僕はこういうのを求めていたのだ。
で、今週は2回夜遊びした。
木曜は女の子のほとんどがインドネシア人のキャバクラ?に行ったのだが、みんな結構キレイだった。ちなみにいかがわしい店ではないです。
金曜はまず居酒屋行って、その後いかがわしい店に行って、最後にキャバクラに行った。
ひさしぶりに夜遊びしてしまったわけだが、毎日男だけの職場で働いて、彼女にも会えないとなると、女の子とお話できるだけで結構うれしいもんだなと思った。
前はキャバクラなんて全然おもしろくないって思ってたけど、時が流れて人も変わる。
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今月末の日曜に開催される大学時代のゼミの教授を囲んでのOB会どうする?ってゼミ時代の友人から電話がかかってきた。
ていうか、僕にはハガキ来てないよ。
こういうことされると非常に疎外感を感じる。
心配になったので他の人間にも色々確認してみたのだが、電話かけてきた一人にしかハガキ来てないようだ。
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卒業して3年目に突入した。
非常に懐かしい。
僕のゼミは入るのはけっこう難しかった。
15人中、成績優秀者で10人、その他5人。
入ってからはありえないぐらい楽だった。
ちなみに僕は先輩のコネで入りました。
ゼミの時間は先生の部屋に行って、みんなでおしゃべりしながら、17時過ぎから酒を飲むという意味不明なことをやっていた。
ほんとに全然勉強しなかったのだが、先生は「お前ら、みんな優秀でこのゼミに入ったんだから、このゼミでは勉強はしない」と言い切ってた。出席にも全然厳しくなくて在籍しているだけで単位はもらえるのだが、僕は無遅刻無欠席だったし、みんなもおそらくそうだったと思う。
ていうか先生の都合で休講ということが非常に多かった。
意味合いは違うかもしれないが、僕にとっての横浜での4年間はほんとに古き良き時代だった。
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